暴走族の歴史が分かる年表。新聞やニュースで報道されたものも多数掲載。
付け足して欲しい物があれば是非お知らせ下さい。

1969年

1969年
カミナリ族

爆音をひびかせ車の間を縫うように走行する雷族の若者。暴走族の前身。昭和30~40年代は雷族と呼ばれ、その後、規模・行動がエスカレートし暴走族との呼び名が一般的になる。昭和44年7月18日、新宿西口の中央公園前で写す。

カミナリ族

ヘルメットもかぶらず水平乗りで夜の高速道をとばす雷族の若者。暴走族の前身。昭和30~40年代は雷族と呼ばれ、その後、規模・行動がエスカレートし暴走族との呼び名が一般的になった。昭和36年6月、数寄屋橋上にできた高速道路で、曲乗りをする若者。

1969/5/17

名古屋・テレビ塔周辺でカミカリ族が群衆約2000人をまき込み大暴れ。愛知県警機動隊が出動。この年、68年に続いて街なかでのカミナリ族の集団走行がひんぱんに起こるようになってきた。

1969/5/26

東名・名神高速道路が全通。

1969/5/27

全通した東名・名神に連合パトロール隊発足。ポルシェをふくむ高速パトカー56台、ヘリコプター4機が装備された。

1969/7/19

東京のカミナリ族取り締まり開始。68年から毎週土曜になると新宿・副都心を走り回っていたカミナリ族約200人と見物人約500人完全規制。パトカー19台、白バイ230台を出動させ、この日より副都心は19時から7時まで2輪車通行禁止となった。

1969/8/1

10日まで、警視庁は2輪交通特別取り締り。昼間は幹線道路。夕方からはカミナリ族の集合場所となる新宿副都心、神宮外苑、駒沢公園が対象地区となった。

1969/9/25

警視庁、全国初の「少年交通白書」を発表。

1969/10/1

交通違反点数制度スタート。

1969/11/28

栃木県でシンナーを吸いながら無免許で自動車を運転していた18才の少年が道路脇の石に衝突。2人死亡、3人重傷。

1969/12/18

警視庁、「少年犯罪白書」を発表。メモータリゼーションの影響モを新しい特徴とした。また、シンナー遊びも急増してきたと大きく警告。

1970〜1975年

1970年

1970/1/21

排気量750?M白バイが警視庁各交通機動隊に配車された。

1970/8/19

映画『イージーライダー』が公開され、カミナリ族にチョッパー・ブームが起きる。チョッパーに使用する「イーグル・ハンドル」の安全性が疑問視させ、自動車工業会2輪車対策特別委員会が運輸省の要請によりテストをし、「操縦及び安全性が劣る」との結論を発表した。

1970/8/20

「道交法の一部改正法」が国会を通過し施行された。これにより、少年にも交通反則通告制度(交通反則金制度)が適用されるようになった。
1971年

1971/5/15

「警視庁は都教育庁へ「高校生の大型オートバイの安全運転の指導強化」を依頼する。この日までに都内で13件のオートバイ事故で14人が死亡。このうち750?Mは7件。都内一般利用の750?Mは2500台で、全オートバイ台数の1割弱だが、死亡事故率は5割以上になる。

1971/6/18

「道交法施行令」の一部改正法令により、自動2輪運転者は時速40キロ以上の道路でヘルメットの着用を義務づけられた。施行は72年5月1日から。

1971/11/8

警視庁少年1課は、「志竜会」を結成し、オートバイや自動車を無免許運転で乗りまわし、恐かつ、暴行などをくり返していた中野・杉並の非行高校生206人を補導した。

1971/11/24

2輪車安全運転普及協議会が発足。

1971/12/31

この年、全国自動車保有台数が2000万台を突破。
1972年

1972/4

この頃から全国各地で、土曜日の夜にサーキット族が走りまわる。警察の規制も同時に開始したが、ますますエスカレートするばかりだった。

1972/6/17~18

「富山事件」発生。4月頃から毎週土曜日の夜に国鉄富山駅前の繁華街を走りまわっていたサーキット族のうち1台が、17日午後11時50分、乗用車に衝突。8人が重軽傷。この事故をきっかけに、警察の規制に反発し、100台以上にサーキット族が暴動を起こし、見物にきていた約2500人の群衆が自動車や商店をぶちこわすなど大暴動となった。富山県警から警官280名が出動、サーキット族63人を検挙。約6時間後におさまった。

1972/6/19

警視庁交通部は少年1課と協力して都内の「カミナリグループ」の補導開始を決定した。同時に都内の「カミナリグループ」約30グループを発表した。

1972/6/24

「富山事件」の翌土曜日。富山県警は警官1300人を動員し規制にあたったが、検問から逃げようしたサーキット族の1台が、ひき逃げ殺人。この騒ぎは高岡市へも飛び火
し、約800人のヤジ馬が集まった。

1972/7/2

暴走騒ぎが、金沢市、小松市、岡山市へ広がる。サーキット族が走りまわり、ヤジ馬が集まるというパターンが「富山事件」より飛び火した。

1972/7/3

警視庁が各地に広がる暴走騒ぎ対策を都道府県警へ通達。対策方針は「サーキット族が集団化する前に、徹底追尾し違反を取り締まる。」

1972/7/8

広島県福山市、金沢市で再び暴走騒ぎ。ヤジ馬が投石などをする。爆竹が使用された。

1972/7/22

高知市、福山市で暴走騒ぎ。高知市ではヤジ馬が3,000人も集まり放火にまでエスカレート。福山市では1,000人のヤジ馬が集まり、68人が検挙された。爆竹、かんしゃく玉が盛んに使用された。

1972/8/1

シンナー遊び一斉取り締り開始。「毒物及び劇物取締法」が一部改正され、「シンナーの吸入および吸入目的所持」は3万円以下の罰金。「吸入することを知りながら販売、授与」は2年以下の懲役、または5万円以下の罰金。

1972/8/16

警視庁、日比谷、青山地区を中心に「夏期カミナリ族集中取締り」を実施

公道レース中のサーキット族のオートバイが歩行者をひき殺す。ガソリンスタンドマン(18)逮捕。

1972/8/30

深夜の青山でサーキット族の少年2人(17才・16才)がサラリーマンの給料をひったくり、逃走したが逮捕された。犯行理由は「金がなく、ガソリンが買えなかったから」。

1972/9/10

午前1時30分ごろ、横浜市本牧市民公園駐車場で、東京と横浜のサーキット族60人が乱闘。約20台、40人の東京のグループを2台のトラックに分乗した横浜のグループ20人がこん棒や鉄パイプで襲撃した。

1972/10/12

夏以来、毎週末に日比谷公園や神宮外苑などで乱闘や傷害をくり返していた「グループ・エイト」など6グループの摘発結果を警視庁が発表。81人が送検され、40人が補導されていた。
1973年

1973/4/10

グループ「乱」が警視庁少年2課に摘発される。逮捕14人、補導23人。被疑事実は、傷害、盗み、集団婦女暴行、免許証偽造など34件。

1973/5/16

国鉄・甲府駅の待ち合い室をサーキット族のクルマ2台が通り抜ける。甲府警察署は少年5人を、鉄道営業法違反で取り調べる。

1973/5/26

「クモ・クラブ」のオートバイ8台が、青山通りで玉突き事故。5人が重傷。

1973/6/24

岐阜県一宮市で、サーキット族のクルマがオーバー・ラン。見物人をなぎ倒し、死亡1人、重傷7人、軽傷5人。

1973/7/8

警視庁が「オートバイ安全運転教室」をスタートさせる。

1973/8/24

「巴町グループ」「麻布グループ」を警視庁少年2課が摘発。盗み、強盗、婦女暴行、傷害、横領、住居侵入、鉄砲刀剣不法所持などの疑いで、73人を検挙、補導。また、この2グループを利用していた運転手、スナック経営者など13人も検挙された。

1973/9/28

警視庁が「変形オートバイハンドルは事故率が高い」と警告。警視庁交通部、運輸省が変形ハンドル・オートバイの性能公開テスト。取り締り対象にすることを決定。

1973/10/26

警視庁少年2課が「蜘蛛」を摘発。盗み、集団婦女暴行などの疑いで53人が検挙、逮捕された。

運輸省、変形ハンドルの使用を「道路運送車両法」の保安基準違反として、禁止を発表。警視庁も、道交法の整備不良車として認定。反則金5,000円、違反点数2点。

1973/10/27

警視庁は、都内150ヶ所で、変形ハンドルの一斉取り締り。2台を検挙、60台に警告書を発行した。

1973/11/15

「蝮グループ」が警視庁に摘発される。4ヵ月間に強盗、恐かつなど40件を重ねた疑いで14人を逮捕、98人を補導した。
m-2
サーキット族

夏の夜、日比谷公園横の大通りは若者グループのオートバイがいっぱい昭和47年7月、交通規制もなんのその、道路を占有するオートバイ。東京・日比谷交差点、晴海通りで.

1974年

1974/1/5

「東名高速・海老名事件」東名高速道路・海老名サービスエリア駐車場に集結していた「ヒットラー」約100人を、木刀、角材、鉄パイプ火炎ビンを武器にした「アリーキャッツ」約100人が襲撃。6日朝、暴力行為の疑いで18人を神奈川県警が逮捕。

1974/1/12

警視庁、トラックに乗った暴走族5人を凶器準備集合罪の疑いで逮捕。

1974/3/24

「一寸法師」の35人が凶器準備集合罪の疑いで警視庁・世田谷署に逮捕、53人が補導。

1974/5/4

警視庁少年1課が4月末までの暴走族動向を発表。さらに、今後の取り締り強化を決めた。

1974/5/5

「ブラックエンペラー」30人が「エンゼル」を東京・新宿で襲撃。車2台を破壊、2人がケガ。

1974/5/18

大阪府泉佐野市の第2阪和国道で暴走族の車が見物人をはね飛ばし、死亡1人、重軽傷8人。運転手は逃走後、業務上過失致死傷、道交法違反で緊急逮捕された。

「関東連合」が富士五湖集会を計画。警視庁、山梨県警、神奈川県警が厳重取り締り。都内で22人が凶器準備集合罪の疑いで逮捕された。

1974/5/24

警視庁が「暴走族解体作戦」を全国へ通達。各警察に「対策本部」が設置されることになった。

1974/5/25

「ブラックエンペラー」2人がラジアル・タイヤを盗もうとして逮捕される。

1974/6/8

抗争を続ける「極悪」と「さそり」を警視庁が摘発。逮捕10人、補導110人。暴力団員1人指名手配された。

警視庁、暴走族懇談会「サーキットをめぐる各種事故防止対策懇談会」を主催。暴走族11グループに呼びかけ、8グループ・25人が集まった。

1974/6/26

「アリーキャッツ」「不知火」を神奈川県警が500件にもおよぶ窃盗容疑で摘発。逮捕14人。指名手配1人。

1974/7/26

警視庁・本所署が「一寸法師」市川支部10人を暴力行為の容疑で逮捕。

1974/8/3

警視庁、「暴走族の徹底取り締り」を全国に通達。この日、全国19ヶ所で厳戒体制をとったが、肩すかしをくった。

1974/8/3

「波布」のメンバーの車が横浜バイパスで事故。死亡1名。

1974/8/17

千葉県・岬キャンプ場で、「東京連合」が「一寸法師」を襲撃。軽傷8人。

1974/8/30

警視庁少年2課、「0組」「ルート6」「エンゼル」を摘発。容疑は、恐かつ47件、暴行・傷害38件、盗み12件など114件。83人を送検。補導61人。

1974/9/22

「乱」の15人が「マッドスペシャル」を対立グループと勘違いし東京・新宿で襲撃。補導15人。火炎ビン2本、角材5本を押収された。

1974/9/28

六本木で「ブラックエンペラー」40人と「みなごろし」20人が乱闘。

1974/10/12

警視庁、暴走族29グループのリーダー46人を集め、「自粛要請」。都内の暴走族は3300人と発表。

1974/10/23

警視庁・本所署が、夏以来抗争を続けていた「みなごろし」と「轟(とどろき)」を摘発。23人を暴力行為などの疑いで逮捕した。

1974/11/20

警視庁交通部が上半期の都内オートバイ事故の分析結果を発表。高校生の事故が55%を占める。

1974/11/23

警視庁交通部が暴走族リーダーの家庭を訪問し両親に協力を求める「面接作戦」を開始。

1974/12/1

警視庁、都心のオートバイ通交制限を開始。規制地区は、夜11時から朝6時まで250c.c.以上のオートバイの通行が禁止となった。

1974/12/13

「9・22小金井パトカー破壊事件」で「ルート20」「ブラックエンペラー」「ゼロ」「ジョーカーズ」を警視庁が摘発。公務執行妨害と暴力行為の疑いで逮捕7人、補導43人。

1974/12/15

「ルート20」40人が富士急ハイランド周辺で、無差別暴力行為。19日までに幹部7人が逮捕された。
狂走族

昭和49年5月、夜ともなれば若者たちが集まり、オートバイの爆音をとどろかせながら外苑道路を周回走行。当時「狂走族」とも呼ばれた。

1975年

1975/1/18

湘南・片瀬海岸で暴走族7グループ、700人が大乱闘。20日までに放火、凶器準備集合罪、火炎ビン処罰法違反などの疑いで逮捕5人、補導17人。

1975/2/11

警視庁、「歩行者天国暴走族特別取り締り」を実施。

1975/2/27

警視庁少年2課、「武州連合」を摘発。8人逮捕。

1975/3/12

暴走族・金庫破り常習犯摘発。4人逮捕。

1975/3/31

「ヘビオンナ」の1台が国道246号線で歩行者2人をひき殺す。

1975/4/20

山梨県警、富士五湖周辺で検問、警告をくり返す。

1975/5/10

抗争を続けていた「まぼろし」と「忍」を警視庁が摘発。

1975/5/17・18

「神戸まつり」へ暴走族が侵入。警察官44人が負傷、見物人4人負傷。横浜、東京、愛知でも暴走族事件が続発した。

1975/5/23

警視庁、「暴走族取り締り強化」を決定。都内89地点で検問所設置などの対策を発表。

1975/5/24

警視庁、東海道沿いの各県警へ取り締り強化を指示。

1975/5/29

「武州連合」を警視庁・府中署が摘発。

1975/5/30

警視庁・「全国交通部長会議」で暴走族取り締り強化を決定。

1975/5/31

暴走・警察官、飲酒運転で少女を殺す。

1975/6/3

「全国警察本部長会議」で暴走族連合組織の寸断を指示。

1975/6/8

「鎌倉七里ヶ浜事件」発生。東京連合と神奈川レーシング連盟の600人が対乱闘。八王子で武州連合と「毘沙門天」が、福島では「ワイルドエンゼル」と「儒牙無」がそれぞれ乱闘事件を起こす。

1975/6/11

警視庁「暴走族総合対策委員会」で、免停30日、同乗者の処分など厳罰主義を決定。

1975/6/14

警視庁、「徹底厳戒体制」を全国へ指示。全国で286人を検挙。同日、警視庁はリーダー62人を集め「事故防止懇談会」で抗争自粛を説得。

1975/6/20

警視庁、3グループを摘発。逮捕14人、補導66人、82人を追及中。

1975/6/21

39都道府県で徹夜厳戒体制。全国で192人を検挙。

1975/6/26

警視庁、国会答弁で暴走族の規制に「神奈川方式」を採用すると発言。

1975/6/28

38都道府県徹夜厳戒体制。23都道府県で470人を検挙。

1975/7/1

警視庁、40キロ/h制限以上のオートバイのヘルメット着用義務違反に減点1の対象にすることを発表。

1975/7/6

39都道府県で徹夜厳戒体制。全国で24人を検挙。

1975/7/6

「ゼロ」のメンバーのオートバイが軽4輪に衝突。軽4輪の2人死亡、1人重傷。

1975/7/20

茨城で「豪士会神風連」と右翼「防共挺身隊」隊員が乱闘。

1975/7/24

警視庁、オートバイ免許制度を道交法の一部改正で、改正すると発表。実施は10月1日から。

1975/8/9

「毘沙門天」の5人、警察の暴行と不当逮捕を訴える。

1975/8/21

札幌で暴走族が交番に火炎ビンを投げる。

1975/9/20

全国で6600人の暴走族が走る。今年最大の規模になる。

1975/10/1

オートバイ免許制度改正。

1975/10/5

日本狂走連盟のグループが交番を投石で襲撃。

1975/10/17

抗争を続ける「スペクター」「極悪」を警視庁が摘発。17人逮捕。

1975/12/20

抗争を続ける関東連盟と日本狂走連盟を警視庁が摘発。102人を送検、補導。  
1975

暴走族。銀座4丁目で道路いっぱいに広がり示威走行をする暴走族の若者たち。昭和50年、若者たちのオートバイ集団が真っ昼間の銀座大通りを爆走。警官も見守るだけ

1975/6/9

暴走族。神奈川・七里ヶ浜で暴走族グループ2派が乱闘、焼き討ちされた乗用車。昭和50年6月8日未明、暴走グループ「東京連合」と「神奈川レーシング連盟」の2派が対立、約600人が鎌倉市の東七里ヶ浜で衝突、乱闘となった

1975/6/12

通常50台前後で集団を組み走り回る暴走(東京・八王子)

1975/6/14

髪を染めアロハTシャツで走り廻る暴走族。

1975/6/14

暴走族。警視庁が暴走族のリーダーを呼び抗争の防止を呼びかける。相次ぐ暴走族同士の対立、抗争に対し警視庁は昭和50年6月14日、暴走族のリーダーたちを集め懇談した=東京・新宿区の新宿少年センターで

1975/8/31

暴走族・銀座の歩行者天国に突入警官に暴行。

1976~1980年

1976年

1976/4/12

第3京浜下り線で暴走族が玉突き衝突。1人死亡、6人重軽傷。

1976/4/17

神奈川県警、「県外規制」を開始。

1976/4/18

集会帰りの暴走族オートバイ同士が追突。2人死亡。

1976/5/11

「マッドスペシャル豊田グループ」「ルート20高幡グループ」が警視庁・日野署で解散式。

1976/5/15

「マッドスペシャル豊田グループ」「ルート20高幡グループ」が警視庁・日野署で解散式。

1976/5/15・16

東京、神奈川、富士五湖で暴走族抗争事件が連続発生。

1976/5/16

警視庁、「神戸まつり事件」を「暴動事件として対処する」と発表。

1976/5/18

政府は閣議で「暴走族対策会議」新設を決定。

1976/5/18

神奈川県警、第3京浜道路のオートバイ通行禁止を協議。

1976/5/19

常習のタイヤ・ドロボウの「アリーキャッツ」の3人が逮捕。

1976/5/22

警視庁、「暴走族対策連絡室」を開設。厳戒体制をひく。

1976/5/22

CRS連合、神奈川県警に摘発される。7人逮捕。

1976/5/25

警視庁、76年度第1回の、「暴走族対策委員会」を開催。

1976/5/27

右翼政治団体「殉国社」の幹部5人を警視庁・成城署が逮捕。暴走族を配下にしようと暴行した容疑

1976/5/28

暴走族を襲って金やタイヤを奪っていた不良グループ逮捕。

1976/5/29

43都道府県で暴走族厳戒体制。専従捜査班も出動した。

1976/5/31

神奈川県警、暴走族調査結果を発表。

1976/6/5

43都道府県で暴走族厳戒体制。史上最大規模の体制となった。

1976/6/8

抗争を続ける。「琴」と「ジョーカーズ恵比寿支部」を警視庁が摘発。3人を身柄送検、21人補導。

1976/6/16

警視庁・麻布署、「アリーキャッツ」2人を、ひったくり事件の容疑で逮捕。

1976/6/17

日本自動車工業会は「大排気量オートバイの販売自粛」を申し合せ。

1976/6/19

九十九里浜、大井ふ頭、代々木公園、多摩センターで暴走族騒ぐ。

1976/6/22

日教組本部へ発煙筒を投げ込んだ、元「マッドスペシャル」リーダー・国防青年隊長が逮捕される。

1976/6/27

「スペクター」がパトカー2台を取り囲み、暴行。

1976/7/1

「マッドスペシャル」を警視庁が摘発。警察無線を盗聴し、盗みをした疑い。

1976/7/2

「アリーキャッツ」の幹部ら、解散声明を発表。

1976/7/20

「マッドスペシャル」解散を発表。

1976/8/8

「神戸まつり事件」の少年被疑者に警部が私刑をしたこと発覚。

1976/8/14

「アリーキャッツ」のリーダーがひき逃げ容疑で警視庁に逮捕。

1976/8/31

「神戸まつり事件」の捜査本部が解散。

1976/9/9

「キラー連合・わら人形」と「みなごろし綾瀬支部」が警視庁・綾瀬署へ解散届けを提出。

1976/9/18

警視庁、「スペクター」「ブラックエンペラー」「ルート20」を摘発。逮捕19人、補導139人。

1976/9/19

横浜で「ブラックエンペラー」「マッドスペシャル」の約300人がパトカーを襲撃、逃げ去る。

1976/9/19

横浜で「地獄族」40人と通行人7人が乱闘。双方軽傷。

1976/9/28

警視庁・品川署は「ゼロ五反田支部・忍グループ」を摘発。5人逮捕、83人補導。

1976/10/3

宇都宮で暴走族160人がパトカーを破壊。10人逮捕。

1976/10/8

「マッドスペシャル」のメンバーが、車をけとばされた仕返しにひき逃げ殺人。9日に逮捕。

1976/10/13

警視庁、「ブラックエンペラー」「スペクター」「ルート20」を第2次摘発。8人逮捕、191人補導。

1976/11/5

警視庁、第4次摘発。8グループ、179人を逮捕、補導。

1976/12/3

警視庁、暴走族の車の改造を請け負っていた3ショップなどを道路運送車両法違反の容疑で摘発。
m-2
1976/5/19 暴走族

各グループが車体に付けるステッカー。昭和51年5月、埼玉県警が押収した暴走族のステッカー

m-2
1976/5/16

神戸まつりで暴走族や群衆が暴動。
機動隊のトラックを押し戻す群衆昭和51年5月15日夜、「神戸まつり」が暴動状態に、群衆に押し戻される機動隊のトラック。

m-2
1976/5/15

神戸まつりで暴走族、群衆が暴動。
放火され炎上するタクシーと連行される群衆の1人。神戸まつり」の神戸市内で暴走族や群衆が暴動、タクシーを焼き討ち、取材記者一人が暴行を受け死亡。

1977年

1977/7/2

城ヶ島大橋付近で神奈川県警第1交通機動隊の検問を暴走族が突破。警官1人が軽傷。

1977/8/28

東京・原宿で暴走族と暴力団員が乱闘。団員の少年逮捕される。

1977/8/28

東京・世田谷で「鬼面党」30人と「ルート20」100人が乱闘。4人が暴行の現行犯で補導。

1977/9/17

「大井ふ頭乱闘事件」。大井ふ頭に集結していた「スペクター」約1300人に対して「極悪」約100人が襲撃。機動隊4個中隊が出動。また「極悪」の特攻隊20人がトラック2台で乱闘へ行く途中摘発された。

1977/9/20

警視庁防犯部は「暴走族に参加した高校生の在学する学校へ名前を伏せて連絡する」などの検討開始。

1977/10/8

東京・保谷市で「草加ゾロ」を襲撃しようと集まった「ルート20」67人が凶器準備集合罪で逮捕された。

1977/10/10

警視庁・石神井署で「蛮牌夜(ばんぱいや)」が解散式。全員が誓約書に署名した。

1977/10/14

9月17日に「スペクター」襲撃を計画していた「北千極悪」86人が14日までに逮捕、補導された。

1977/10/30

「ブラックエンペラー玉川支部」が警視庁・玉川署で解散式。

1977/11/4

チャリンコ(自転車)暴走族「セクシーボーイ」「ねずみ小僧」を警視庁防犯部が解散された。

1977/11/5

警視庁・成城署は「ルート20」「ねずみ小僧」「ブラックエンペラー」を摘発。113人を逮捕、補導。

1977/11/5

この日、都内を走りまわった暴走族は10グループ、1270台。

1977/11/8

全国警察本部交通担当課長会議開催。「暴走族などの取り締り強化」を指示した。

1977/11/10

国家公安委員会は「暴走族のリーダーは60日間の運転免許停止処分」を承認した。

1977/11/16

警視庁は「暴走族総合対策本部会議」を開き「指定団体」7グループを決め取り締り強化を決定した。

1977/11/17

ガソリンスタンド専門に盗みをはたらいていた「ジョーカーズ」リーダーらを神奈川県・津久井署が摘発。7人を逮捕した。

1977/11/19

都内の高校の学校長などが暴走族を深夜に視察。

1977/11/30

警視庁少年2課は抗争を続けた「ブラックエンペラー」と「ねずみ小僧」を摘発。148人を検挙。

1977/12/8

警視庁少年2課は「キラー連合」を摘発。逮捕34人、132人を任意同行、67人を補導した。容疑は、火炎ビン処罰法。

1977/12/11

「アリーキャッツ」のメンバー2人がオートバイ事故。1人死亡、1人重傷。

1977/12/15

警視庁・西新井署が「ジェロニモ」「ロードランナー」を摘発。802人を検挙した。
1977/3/7 暴走族

表参道で暴走族が騒ぎ道路は大渋滞。
暴走族グループが東京・渋谷の神宮前表参道で騒ぎを引き起こし道路は動けなくなった自動車などで交通渋滞。

1977/9/18 スペクター・極悪グループ乱闘

東京都品川区大井埠頭
オートバイ200台、自動車280台で集まった暴走族「スペクター」に「極悪グループ」100人が殴り込み、4人が逮捕された。

1978年

1978/1/29

「一寸法師」約15人が交番で対立グループ4人と乱闘。

1978/2/3

警視庁交通部は4日から大井ふ頭を「毎週土曜日23時から翌朝6時まで通行禁止」を発表した。

1978/3/17

警視庁「暴走族追放キャンペーンの成果」を中間発表。「暴走族は80%の減少」など。

1978/3/18

78年最多数の暴走族が出現。81人逮捕、5人補導。

1978/4/20

警視庁交通捜査課が、暴走族の車両を“違法改造”していたカーショップなど8業者を摘発。

1978/6/3

警視庁・石神井署は再結成を計画した「ルート6」のリーダーを説得。

1978/6/3

埼玉県・熊谷市で「サマーフラワー親和会」「ブラックローズ」約200人が県警と乱闘。

1978/6/3

「スペクター」3人が千葉県館山でパトカーを襲撃。

1978/7/15

暴走族が東京・足立区で玉突き衝突。4人重傷。

1978/7/15

東京・町田市で「ピエロ」約150人と「アリーキャッツ」約150人が乱闘。千葉県では「ナンバーワン」12人が道交法違反で逮捕された。

1978/7/16

大阪でロックンロール・コンサートを警察がつぶし、怒った暴走族が警察署へ火炎ビンを投げた。

1978/7/29

神奈川県座間市のガソリンスタンドを「CRS連合」200台が襲撃。

1978/8/19

東京・町田市で「ルート20」「スペクター」が一般車を襲撃。小平市では「毘沙門天」が対向車へいやがらせ。新宿では「ゼロ」がガソリンスタンドを襲撃。

1978/8/27

埼玉県所沢で「毘沙門天」60人と「みなごろし」40人が乱闘。31人検挙。

1978/8/27

警視庁交通部が「ブラックエンペラー」を摘発。51人検挙、11人補導。

1978/9/3

北海道倶知安町で暴走族が倶知安署を襲撃。鹿児島県では暴走族が派出所2件連続襲撃。茨城県館市で「サマーフラワー」「行田連合」がパトカーを襲撃。

1978/9/6

警視庁・代々木署は「ブラックエンペラー」を摘発。4人逮捕。

1978/9/7

警視庁、「最近の暴走族の実態」をまとめ、発表した。「少女暴走族が急増した、ガソリンスタンドや警察署の襲撃など悪質な事件が増加」と指摘した。

1978/10/7

警視庁、都内67ヵ所で一斉検問。588人を摘発。川崎市では交番が襲撃された。

1978/11/25

新道交法施工前の土曜日。全国で暴走族が荒れる。神奈川県・湘南で「ピエロ」300人と「CRS」150人が乱闘。都内を走ったのは1327台。埼玉県では「スペクター」など11000人が走った。また「ルート20調布」「みなごろし」などが解散式をした。

1978/11/29

警視庁少年2課が9月中の抗争事件の容疑でキラー連合を摘発。23人を逮捕、任意同行40人、補導12人。

1978/11/29

警視庁少年2課が、「ブラックエンペラー」を摘発。ガソリンスタンド襲撃の容疑。4人逮捕、23人任意同行、150人を補導。

1978/12/1

新道交法施行。警視庁は厳戒態勢をとったが、暴走族は走らなかった。同時に深夜補導を徹底する。

1978/12/2

新道交法施行後の初の土曜日。全国一斉取り締り。旧道交法最後の土曜・11月25日に比べると90%減の暴走族が走っただけだった。

1978/12/4

静岡県小山町で暴走族が派出所を襲撃。逃走途中に1人事故死。

1978/12/24

「ブラックエンペラー」「ゼロ」「極悪」の約50人が渋谷から原宿までを無届デモ。6人逮捕、17人を補導。
1978/4/20

昭和53年4月20日、警視庁交通部は、暴走族用に自動車を不正改造の疑いで練馬区旭町の東京堂(整備工場)を手入れした。

1978/6/5

パトカーを囲んで騒ぐ暴走族、警官2人が負傷する騒ぎに。
昭和53年6月4日夜、約230人の暴走族が埼玉県熊谷市佐谷田で国道17号線を占拠、出動したパトカーを取り囲む。

1979年

1979/3/10

結成されたばかりの「パールハーバー」が青梅市内を暴走、5人が逮捕された。

1979/4/27

「ブラックエンペラー」の会長が暴力団と組み、部下を労務者として働かせ、その給料を全て着服していたことが発覚、逮捕された。

1979/5/27

「ブラックエンペラー」と「武州連合」は合同で300人規模の集会を開き、2人逮捕、4人が補導された。

1979/8/25

暴走族の幹部が共同危険行為で4人逮捕されたが、そのうち2人は運転せず指揮をしていただけで、これは道交法改正以後初めて共犯者逮捕。

1979/8/29

東京・杉並の派出所を暴走していた約50台の単車が襲撃、警察官が軽傷を負った。

1979/9/8

千葉県各所で100台単位の大集団が暴走を繰り返し、パトカー2台を襲撃。警察官の単車に放火した「スペクター」「キラー連合」「悪神」のメンバー3人逮捕、27人が補導。愛知県では、交番や検問の襲撃が相次ぎ通行人1人死亡、警察官2人が軽傷。このほか、大分、大阪、宮城、北九州、岩手県など57ヵ所で暴走事件が多発。

1979/9/17

「毘沙門天」が集会中に通行人をひき殺す。

1979/10/26

「ブラックエンペラー」永福町支部のメンバー1人は、根性焼きをしたとして、傷害の罪で逮捕された。

1979/11/9

警視庁・渋谷署は「ブラックエンペラー」の各支部長9人を暴走行為で逮捕、メンバー33人を補導した。

1979/12/1

警視庁は「暴走族メンバーの家庭訪問作戦」を開始すると発表。

1979/12/18

警視庁は、昨年の道路交通法改正以後、暴走族7割減を発表。
1980年

1980/1/23

警視庁は、警察本部長を長とする「暴走族総合対策本部」を各警察本部に新設し、取り締り強化を決定。

1980/2/26

警視庁少年ニ課は、対立する「スペクター」と「みなごろし」のリーダーら23人を逮捕、15人を補導。

1980/2/28

警視庁少年二課らは、「極悪」「龍神会」「スペクター」の3グループ32人を暴力行為で逮捕、57人を補導した。

1980/4/17

警視庁少年二課と蒲田署は、「ジョーカーズ蒲田支部」のメンバーを集団暴行を行ったとして8人を逮捕、40人を補導した。

1980/6/1

警視庁は、共同危険行為をした場合、同乗者も行政処分をすることにした。

1980/6/3

警視庁少年二課らは「キラー連合恐死会」と同じ連合に所属する「ICBM」の対立抗争直前に摘発し「恐死会」のメンバーを火炎ビン取締法違反で逮捕した。

1980/6/5

埼玉県入間で約40人のグループがパトカーを襲撃した。

1980/6/17

東京・江戸川区で「MTC」のメンバーが警察官を轢き逮捕される。

1980/6/28

警視庁は、都内で40グループ構成員3585人前年比で3割増、世代交代で低年令化と発表。

1980/7/22

警視庁交通部は、「ジョーカーズ」を襲撃しようとした「ブラックエンペラー」のメンバー4人を凶器準備集合罪で逮捕した。

1980/7/26

「八王子スペクター」「甲州軍団」「黒姫鏡」は、合同暴走を行い6人が逮捕、66人が補導された。

1980/8/9

警視庁は「からめ手作戦」と呼ぶ、改造車や単車を一時的に押収する手段を始めると発表。

1980/8/10

神奈川県保土ヶ谷区で「蛍死蝶」が暴走中、制止しようと道路に出てきた警察官を轢く。

1980/8/21

警視庁は、上半期「刑法犯少年の実態」で全国853グループと35151人の暴走族を確認と発表。

1980/9/20

神奈川県警は関東で最大規模を誇る「CRS連合」の幹部ら51人を含む80人を検挙し、同連合に壊滅的打撃をあたえたと発表。

1980/10/16

警視庁交通部は、暴走族壊滅作戦の一環として「ジャパンマッドスペシャル」の幹部7人を共同危険行為で逮捕。

1980/10/27

神奈川県中区で「取り締り中の警官を単車が轢く」という事件があったが故意にやった可能性があるとして、殺人未遂の現行犯で逮捕された。

1980/11/15

神奈川県海老名で「アストラ」が、パトカーに追跡され降りている遮断機を突破し電車を止め、列車往来危険罪で逮捕された。

1980/12/8

警視庁交通部は暴走を繰り返していた「影」「帝釈」の3人を、共同危険行為で逮捕した。

1980/12/21

6月末に200人近い摘発にあい活動が鈍りがちであった「八王子CRS連合」は、八王子署に解散を発表した。

1981〜1985年

1981年

1981/1/14

警視庁交通部は「一寸法師」「影」「帝釈」のリーダー4人を共同危険行為の疑いで逮捕した。

1981/1/26

対立するグループ同士が横浜新道をレースのように暴走。その後、路上で乱闘を始め9人がケガをした。

1981/1/30

警視庁・浅草署は、荒川区内の暴走族5人に対し、俗にいう「一発取り消し」を適用。この適用は、全国で第一号となる。

1981/1/31

都内を130台で暴走していた「一寸法師」「流れ星」が、タクシーなどを襲撃、逮捕された。

1981/2/26

茨城公安委員会は、土浦を本拠地とする2グループのメンバーに対し免許取り消しを行った。

1981/4/2

「キラー連合」は対立する「一寸法師」のメンバーを襲撃、暴行し「キラー連合レディース女組」の少女10人を含む50人を補導、20人を逮捕した。

1981/4/6

警視庁交通部は、世田谷区内を75台200人で暴走した「ZERO連合」のリーダー3人を逮捕した。

1981/5/2

東京・蒲田で、信号を無視した暴走族の少年1人が衝突死した。

1981/5/28

警視庁志村署は、暴走の計画や警察の情報を電話で連絡し合っていた「乱舞」の事務所を摘発した。

1981/6/9

東京・狛江市内の「ねずみ小僧」のリーダーら9人は、傷害や暴力行為で逮捕された。

1981/6/23

東京・日野市で「ルート20日野支部」のメンバー4人が、対立するチームの家を放火。家人1人が焼死。

1981/7/17

警視庁少年二課らは、「極悪千駄木支部」「みなごろし」「スペクター」のメンバー31人を、凶器準備集合罪ほかの現行犯で逮捕した。

1981/9/12

東京・葛飾区内の暴走族5人が、覚醒剤取締法違反で逮捕された。

1981/10/6

警視庁交通執行課は、暴走族取り締りの新兵器として、マフラーの音を測定できる騒音器を導入した。

1981/10/27

東京・江戸川区で「白竜」の襲撃を迎え討とうと用意していた「一寸法師上一色支部」25人が、凶器準備集合罪で逮捕された。

1981/11/2

東京・江戸川区で「荒武者保崎支部」約10人が、一般市民を次々と襲い1人が死亡。

1981/11/7

東京・足立区内で「極悪」が、対立する「本木連合」と間違えて、無関係の少年を襲い逮捕された。

1981/11/14

暴走族解体作戦を進めている警視庁少年二課は「ブラックエンペラー武蔵村山支部」と、対立する「美蝶湾(ビーワン)」の2グループ99人を逮捕、178人を検挙補導した。また、警視庁交通部は「マッドスペシャル」「ルート20府中」のメンバー8人を逮捕した。

1981/12/3

「マッドスペシャル」は、対立する「ブラックエンペラー」と間違えて、無関係の車を襲撃し25人が警視庁・渋谷署に逮捕された。また、葛飾区では、「貴族」が対立する「影」のメンバーの自宅に押し入り乱闘、10人が逮捕された。
1982年

1982/2/1

八丈島で結成を目指し資金集めの為、恐喝などをしていた高校生が補導された。

1982/8/19

東京・江東区で、暴走していた少年にウィスキーのビンが投げ付けられ、少年は頭蓋骨陥没で重体。

1982/11/6

東京・東大和市で「ブラックエンペラー東大和支部」と対立する「立川地獄」が抗争し48人が火炎ビン使用法違反などで逮捕された。暴走族が火炎ビン使用法で逮捕されるのは、今回が初めて。

1982/12/7

警視庁交通部などは、葛飾区を拠点とする、暴走族76人を一斉検挙した。
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1983年

1983/1/11

東京・葛飾区で、盗んだ車で暴走していた、中学生だけのグループ「マウンテンデウー」が摘発された。中学生だけのグループが摘発されたのは、今回が初めて。

1983/2/10

中高生から上納金を脅し取っていた「ブラックエンペラー東村山支部」のメンバーが、4人逮捕された。

1983/4/9

東京・板橋区内の「極女会」は、対立する「女樹」を襲い、少女5人が逮捕された。

1983/6/14

警視庁交通捜査課らは、都内を暴走していた「ブリザード」「みなごろし」など11グループ5人を逮捕、85人を任意で調べた。

1983/6/22

警視庁暴走族特別取締本部らは、警官を集団で襲撃した「みなごろし」のメンバー33人を逮捕、暴力団組長を犯人隠避罪で逮捕した。

1983/8/14

千葉・夷隅郡で「紋白蝶」約100人が、検問中の警官に投石。8人が逮捕された。

1983/8/20

東京都公安委員会は、八王子を中心に走っていた「スペクター」61人に、免許の取り消し、停止を通達した。

1983/10/26

東京・清瀬市などを拠点にしている「悪辣(あくらつ)」は、約10台で交番を襲い、10人が逮捕された。
1984年

1984/7/17

東京・荒川区や足立区を拠点に暴走していたグループが、警官を襲い14人が逮捕された。

1984/8/11

千葉・八日市場市の暴力団が地元の「キラー連合紅」のメンバーを副業の便利屋で働かせ、働きの悪い者を暴力で脅かしていたことが発覚、逮捕された。

1984/10/8

東京・江東区で、ひったくり事件を続けていた暴走族が摘発された。

1984/10/22

警視庁交通部は、富士スピードウェイで開催される、富士グランドチャンピオンのレースを見学にむかう暴走族207人を道路交通法で逮捕。

1984/12/18

東京・府中市内の3グループは、統合して勢力を拡大しようと、その資金稼ぎのため、中学の番長グループから現金を脅し取り逮捕された。
1985年

1985/4/21

北九州で検問中の警官に約30台の暴走族が襲い、警察が発砲する事件が発生した。

1985/6/25

道路交通法改正、空ぶかしや急発進など騒音を生じる走行を禁止した。

1985/7/6

和歌山県で暴走を繰り返していた単車に腹を立てた近所の人が、角材を道路に投げ、運転者は死亡、同乗者が重体。

1985/7/11

東京・町田市で、騒音を注意した男性に集団で暴行し財布を奪って逃げた「ターミー族」を名乗るメンバー10人を逮捕した。

1985/7/19

警視庁少年二課らは暴力団員3人を含む暴走族18人を盗みなどの疑いで逮捕した。

1985/9/2

茨城県大洗海岸で、「一誠会」を中心とする約200人が、検問中の警官を襲撃、警官9人が重軽傷、パトカー9台も破壊された。

1985/11/6

警視庁少年二課らは、鉄パイプなどで通行人を襲ったり、窃盗や恐喝を繰り返していた東京・江戸川区「荒武者」を摘発、メンバー18人を逮捕した。

1986〜1990年

1986年

1986/3/24

神奈川県川崎で、グループ同志の抗争が発生、日本刃で1人刺殺。

1986/7/24

警視庁少年二課は、東京・江戸川区を拠点とする「魔愚露」と対立する「米」のメンバー20人を摘発。

1986/7/26

神奈川県寒川で、暴走族が一般車を追い抜いた所、相手が抜き返そうとしたのに腹を立て暴行。1人死亡、1人軽傷。

1986/10/5

東京・墨田区で「白竜」「一寸法師」「流れ星」のメンバー40人が歩行者の少年4人を襲い、1人が重体。

1986/11/1

東京の下町を中心に、暴走を繰り返していた「砂町狂狼会」のメンバー4人が逮捕。
1987年

1987/1/5

警視庁防犯部は、「暴走族等地域不良グループ壊滅作戦推進本部」を設け重点地区を指定。事件捜査を強力に進める方針をたてた。

1987/4/17

東京・府中市で、暴走族3グループのメンバー21人が盗みの疑いで逮捕された。

1987/7/1

「CRS連合」は、対立グループを襲撃する直前に摘発された。

1987/7/17

北海道苫小牧市で約50人の暴走族が警察官に襲いかかった為、警察官が3発威嚇射撃をしたが、怯まずむかってきたので水平射撃をし、1人が撃たれて重体。

1987/7/21

東京・豊島区などで暴走を繰り返していた暴走族、16人が逮捕。

1987/8/1

警視庁は、全国で559グループ、35,480人の暴走族を確認、昨年より1割増と発表。

1987/8/3

警視庁は初めて、全国一斉取締を行い1,665人を摘発。

1987/8/9

三重県四日市南署は、暴走族一斉取締を行ったが、警察官150人で、通行人など不特定50人から指紋を取っていたことがあきらかになった。

1987/8/24

警視庁少年一課は、世田谷区内の4グループ、13人を恐喝などの疑いで逮捕し、4グループは解体したと発表。

1987/11/16

山梨県で「警察官に暴行された」として、少年2人が山梨県警に対し訴えをおこした。

1987/12/12

東京・世田谷区で、地下ケーブルを工事中の作業員20人に、鉄パイプなどで襲いかかった「鬼面党」15人を、警視庁少年二課らは傷害と暴力行為の疑いで逮捕した。
1988年

1988/1/18

神奈川県相模原で、暴走族に進路を妨害されたと、トラックが銃で発砲し、3人重体。

1988/5/10

警視庁交通課らは、光が丘を拠点とする「東京神風BM-1」のメンバー3人を、ひき逃げの疑いで逮捕、4人を書類送検、9人を補導した。

1988/6/14

警視庁少年二課は「足立レディース韋駄天愛」の総長ら4人を傷害容疑で逮捕、7人を送検した。

1988/8/17

警視庁少年二課は、練馬区を中心に盗みを働いたとして「スペクター」のメンバー10人を逮捕、7人を任意でしらべた。

1988/10/31

福岡県内で、「鬼面党」と対立する「悪夢」の抗争で1人死亡、1人重体。

1988/12/3

警視庁が、暴走族にアンケート調査、「暴走が平日にひろがっている」「低年齢化している」などを報告。

1988/12/16

東名高速を30キロでノロノロ運転をしたとして、埼玉県「一寸法師」、静岡「駿州嶋田」などが、共同危険行為で摘発、30人が逮捕、60人が任意で取り調べを受けた。
低速が、共同危険行為と判断されたのは今回が初めて。
1989年

1989/4/3

神奈川県の東名高速・海老名サービスエリアで各地からの族、約300台が集結し、蛇行運転などを繰り返し、行楽帰りの一般車を巻き込んで大渋滞となった。族が一時的に集結した原因は、富士スピードウェイで開催されたレースで、族の間では3~4年前から恒例行事となっている。

1989/4/18

毎日新聞記者が神奈川県藤沢で、暴走族風の男2人に殴られ死ぬ。

1989/4/20

警視庁は、毎日新聞記者が乱暴を受けて死亡したことで暴走族対策強化を決定した。

1989/4/22

警視庁は引き続き、全庁規模の暴走族総合対策委員会を開いた。

1989/4/22

福岡県で、族13人に会社員が袋叩きにあい死亡。

1989/4/24

東京・大田区根城の「ルート20ゴースト」は、今月9日池上署に解散届を出し解散した。

1989/4/28

昨年7月、暴走族にカラまれて逃げる途中、暴走族の単車に追突し少年2人を死傷させ業務上過失致死の疑いとされていた男性に、千葉地検は正当防衛として不起訴処分とした。

1989/5/8

警視庁は連休中の集中取締で4,431人を検挙、うち24人を逮捕、車両626台を押収。昨年同期と比べ検挙者は約5倍、押収車両は約4倍にのぼったと発表。

1989/5/12

福岡県で対立するチームが乱闘をし福岡県警は決闘罪の疑いで2人逮捕、38人を検挙した。暴走族が起した事件で乱闘罪が適用されたのは初めて。

1989/5/19

神奈川県川崎で女性が運転していた車を、暴走族風の単車が襲い同乗者がケガをした。

1989/5/29

千葉県浦安で「市川スペクター」と外国人暴走族「ドラゴン」が抗争、1人が腹を刺されて死亡した。この事件で中国籍の少年1人が殺人の疑いで逮捕。

1989/6/20

警視庁は、暴走族追放対策強化をしてタクシー運転手やガソリンスタンド、深夜スーパーなどに通報してもらうよう協力を求めた。

1989/6/22

警視庁交通捜査課は、東京・品川区の「ZERO」のメンバー5人を共同危険行為の疑いで逮捕、1人を書類送検した。

1989/7/4

警視庁は、関東連合の「小次郎」「ブラックエンペラー」のメンバー6人を凶器準備集合罪の疑いで逮捕、同容疑で11人を調べた。

1989/8/4

大阪大正区で暴走していた少年に、男が鉄製のモップで殴り、後部座席に乗っていた少年が転倒し重傷。

1989/8/12

暴走族のたまり場になったいた名古屋港で、愛知県警交通指導課や蟹江署などが合同で大規模な取締を実施。警官210人、パトカー50台、ヘリコプター1台、舟2艇で暴走族約200台を一斉検問。

1989/8/30

北海道札幌で対立する「北海道連合」と「狂牙乱闘」が乱闘、1人が死亡、5人が重傷を負った。
1990年

1990/3/14

愛知県警交通指導課らは、暴走族のリーダーら6人を道交法違反の疑いで逮捕した。

1990/3/27

大阪・平野区で信号待ちをしていた車に暴走族風の20数人が襲撃。襲われた2人は自宅へ逃げ帰ろうとしたが、途中で捕まりさらに暴行を受けた。2人の悲鳴を聞き駆け付けた近所の人も暴行を受け怪我をした。

1990/8/23

福岡県警交通指導課らは、暴走族のリーダーを道交法違反の疑いで逮捕した。

1990/9/12

神奈川県湘南で暴走行為をしながら走っていた乗用車の3人組が鉄パイプなどで一般車のガラスを割り逃げた。その後も同一犯と思われる暴走族風の3人組は、他の一般車を襲い、運転者が交番へ逃げたスキに車を奪って逃走。奪われた車は近くの私道で火をつけられ放置されていた。

1990/11/1

静岡県沼津で、沼津署のパトカーの追跡を振り切ろうとした、少年2人乗りのオートバイが転倒し前から来た乗用車に激突、さらに後続の大型トラックにはねられて2人とも即死した。沼津署は今年4月27日にも、ヘルメットをかぶっていない少年2人乗りのオートバイを追跡。オートバイは逃げ切ろうとして鉄骨資材に激突し2人とも死亡する事故があった。